津軽の海峡を命がけで蝦夷地へ渡った人たちの目的や動機は、人それぞれにさまざまであっただろう。
その時その時代の蝦夷地の魅力は、あるときは昆布を求め、あるときは砂金を求め、またある時代はエゾ桧や膃肭臍を求めて北へ北へと進んでいった。山野に奥深くエゾ鹿を求め、鷹を求めた者も多い。そして最大の魅力で富を運び、人を寄せ集めたのは鮭と昆布とニシンであった。
これらは蝦夷地産物の三品といわれた。なかでもニシンは、春告魚という美しい表記は別として、古来、鯡の当て字が用いられた。ニシンは魚であって魚に非ず、蝦夷地の人びとが生きていくための米と同じだという意味からだという。
鯡で賑わう江差の賑わいは、江戸にもないといわれたたとえは、利を追う者は勿論、飢えてる者にとっても蝦夷地は大きな魅力として人をひきつけた。