額兵隊

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 額兵隊副長熱海貞爾らが乗った千秋丸は、長鯨に曳綱を切られ、余儀なく一〇月二二日、ようやく鷲ノ木に入港した。
 翌二四日、額兵隊の兵糧弾薬を鳳凰艦に積み替えたうえ、三橋光種が兵を率いてこれを護送して乗船、川汲沖に至り川汲に上陸した。本隊のあとを追って進もうとしたが、附近に敵官軍が屯在していることをきいて川汲に滞留した。同日夜本隊と合流した。
 太田貞泰・中村実相らは、なお兵糧弾薬の輸送の任に当たり、鷲ノ木と川汲間を往復すること数度、後陣にあったため、熱海貞爾・荒井平之進らとともに二九日にいたって五稜郭に入った。
 額兵隊は真っ赤なラシャの服を着ていたので、仙台の赤服と呼ばれた。裏は黒になっていて戦闘のときは裏返して着るという説もある。
 額兵隊には軍楽隊もついていた。胸には大太鼓、腰には小太鼓、フルートやクラリネットを吹奏した洋式の兵隊は箱館地方の人々の耳目を驚かせた。
 この洋式の赤い兵士の額兵隊は、土方に率いられて、松前攻略軍の中核部隊として、つねに前戦で戦った。