目次
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第五編 行政
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第一章 村政のはじめ
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第一節 箱館戦争
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箱館戦争余話
さらし首
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川汲
山道の入口に、曝し首があった。脱走軍の兵士であったという。〓加我喜代吉(安政六年生一八五八)は、赤ん坊をおぶって村の子どもたちと見にいったという。曝し首は二つあったと伝えられている。 (協力 寺西好一 明治四三生)
自動車の通る山道(大正一四年開通)以前の旧山道の入口(登り口)から現在の
渡島
信用金庫寄りの辺に、
川汲
の村の高札場があった。明治になるとここに
川汲
の警察が設置された。旧
川汲
地蔵堂
と墓地のところに曝し首がおかれたのである。