さらし首

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 川汲山道の入口に、曝し首があった。脱走軍の兵士であったという。〓加我喜代吉(安政六年生一八五八)は、赤ん坊をおぶって村の子どもたちと見にいったという。曝し首は二つあったと伝えられている。  (協力 寺西好一 明治四三生)
 自動車の通る山道(大正一四年開通)以前の旧山道の入口(登り口)から現在の渡島信用金庫寄りの辺に、川汲の村の高札場があった。明治になるとここに川汲の警察が設置された。旧川汲地蔵堂と墓地のところに曝し首がおかれたのである。