総代人会議

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 戸長役場時代における村の重要案件の決定は、各部落より選出されていた総代によって議決された。
竹中重蔵の記録になる明治三五年の尾札部村総代会の記録があるので、全文を掲げる。
戸長と総代会は、のちの町村長と村会・町村議会と同等の権限をもっていたようである。
 
   明治三十五年尾札部村総代人会議事録
 明治三十五年三月三十日磨光学校内ニ於テ左ノ議案ヲ議決スル為メ総代人会ヲ開ク
        総代人出席者  松永 藤次郎
                内藤 二太郎
 開会午前十時
第一号議案
一、神保戸長ハ第壱号議案木直古部ヘ消防組ヲ設置スル事並ニ尾札部以下消防組改称ノ件ニ付審議アランコトヲ述フ。
 総代人松永、内藤ノ両名、其大体ニ就テ賛成ナルモ諮問案区域人員中
 第壱部消防手四拾五名ヲ四拾四名トシ、
 第二部消防手四拾四名ヲ四拾五名トシ、
 第三部消防手四拾名ヲ四拾弐名トシ、
 組頭ハ第一部ニ置カンコトヲ求ム。
差支ノ点ナキヲ以テ修正説ニ可決ス。
第弐号議案
一、明治三十五年度村費収支予算書中神保戸長ハ支出ノ部ヨリ一審議確定センコトヲ述フ。
 各総代人ハ
 字尾札部第九款警備費第一目
 消防夫手当拾円トアルヲ拾五円トシ、
 消防人夫一回五十人、弐回トアルヲ参回トシ、
 弁当科トアルヲ出場手当トシ、
 第三項夜警費へ金壱円ヲ設ケントス。
 夫レヨリ
 字川汲第九款警備費第一目
 消防夫手当拾円とアルヲ拾五円トシ、
 消防人夫一回五十人、弐回トアルヲ参回トシ、
 第二目器機具費拾円トアルヲ拾八円トシ、
 第三項夜警費へ金壱円ヲ設ケントス。
 第三款教育費第三項慰労金拾壱円五拾銭トアルヲ拾五円五十銭ト訂正アランコトヲ。
 夫レヨリ
 字木直第九款警備費第一目
 消防夫手当八円トアルヲ拾四円拾銭トシ、
 消防人夫一回四十人弐回トアルヲ、一回四拾七人三回トシ、
 第三項夜警費へ金壱円ヲ設ケントス。
 第三款教育費第三項二目雇人料四円トアルヲ六円四十銭トシ、
 第四項需用費附記壱目壱賃金五十銭トアルヲ八十銭トシ、
 二目消耗費六十六円三十六銭五厘トアルヲ六拾弐円五十六銭五厘トシ、
 此附記薪七棚トアルヲ六棚トシ、
 桶壱箇並ニ柄代トシテ金壱円弐拾銭ヲ附記セントス。
 十款第四雑支出二目学校財産管理費五円トアルヲ八円トセンコトヲ求ム。
 夫レヨリ
 字古部第九款警備費 一目
    消防夫手当四円トアルヲ六円九十銭トシ、
    消防夫弐十人二回トアルヲ弐十三人三回トシ、
    第三項夜警費へ金五拾銭ヲ設ケントス。
差支ナキモノト認メ修正説ニ可決ス。
夫レヨリ神保戸長ハ収入ノ部各款目ニ就キ説明ノ末
松永総代人ハ
字古部 第五款寄附金第二項教育費寄附ハ従来各字ヨリ寄附シ来ルモ、本年ハ之ヲ削除スルコトトセバ、古部民力ノ負担ニ耐ヘケルヤニ思ハル。
依テ今回古部簡易教育所ニ変更シ、而シテ補助金ヲ受クル見込ナルモ、若シ補助認可ヲ受クルコト能ハザル時ハ各字ヨリ客年ノ通リ、寄附金四拾壱円九拾銭四厘ヲ追加予算ノ上補助センコトヲ求ム。
内藤総代人ノ賛成アリ
差支ナキモノト認メ修正説ニ可決ス。
第三号議案
古部尋常小学校ヲ古部簡易教育所ニ変更シ、代用教員俸給ノ補助及建築費ノ内補助金ヲ申請ノ件 原案可決。
 第四号議案
 字尾札部ニ於テ明治三十年二月六日植樹地トシテ、貸付許可ヲ受ケタル拾五万千九百六十一坪畑地目変更出願ニカカル 方法ノ件ニ付、神保戸長ハ諄々説明ノ末、
 内藤総代人ハ畑地ニ開墾、成功年限ヲ明治三十五年六年ノ二年トシ、地内ニ在ル立木ハ其開墾費用ニ充テ出願センコトヲ求ム。神保戸長 地内ニ在ル立木ハ既ニ伐採セシモノノ如シ。然ラハ該木材ヲ売却シ、共有金(即チ貯金ニ預ケ入レ)トシテ保管スルハ正常ノ順序ナルヲ説明セリ。
内藤松永両総代人ハ篤ト勘考調査スルノ必要アルヲ以テ即決に至ラズ、来ル六日頃マテ議決の猶予ヲ申立。
一、各字明治三十三年度積立金予算決定額ニ充ザルモノ双ハ増加セシ………増加セシモノハ総テ……貯金トシテ……通り規定ノ目ニ於テ郵便貯金トシテ預、各戸・割各種・費ノ残額ハ郵便貯金トシ預ケ入ルルノ件モ
亦異議ナシ
総代人会
右議決書ノ通リ相違ナキヲ以テ左ニ署名捺印ス
 明治三十五年三月三十日
       尾札部(村)戸長  神保 巌之助
       総代人      松永 藤次郎
       総代人      内藤 二太郎
       書 記      竹中(重 蔵)
一、閉会  午後六時十分
                  資料(竹中重蔵文書・「陰の細道」)解読
 
 当時、総代人は四部落総代といって、古部・木直・尾札部川汲の四部落から一名ずつ選出されていたから、定員四名のうち出席は二名で、発言記録も二名しかないところから、総代会開催と決議の効力に関する規定も、半数出席で成立したものらしい。
 提案とその決議の内容からみて、のちの町村議会と同じ決議権をもつものとしては、その事情の如何を問わず、この記録のみる限りでは寛容すぎる。
 明治三九年四月、二級町村制の施行ののちは、四部落は部とよばれて総代は部長となった。