明治の鰮漁業

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  (1)漁場の経営(歩方)
 鰮曳網漁場の歩方分配の割合は、明治二〇年代、尾札部村では、網主が乾場・漁具・漁船及製造器具のほか諸雑費を負担、歩方漁夫は自家で寝食をとり漁労にあたるものとして、網主四分・歩方六分の取分とされた。臼尻村は、尾札部同様の四分六分のもののほか、網主が乾場・網・船・薪を負担して三分を得、歩方漁夫が自家寝食のほかに魚粕製造・干上げ用の繩・莚を負担して七分を得る所謂三分七分の漁場もあった。(明治二五年刊「北海道水産予察調査報告」による)
 
  (2)漁場の規模
鰮の地曳網は、大小その規模はいろいろであるが、次の資料がある。
   明治二一年一〇月二六日 郡長許可
   臼尻村 二本柳庄三郎 鰮営業方法書
   一、漁具  鰮曳網 壱統
         釜   弐枚
         筒   弐個
   一、漁船      五艘
      内 筒替船八人乗 壱 艘
        持符船弐人乗 壱 艘
        中 船壱人乗 壱 艘
        磯 船    弐 艘
   一、漁場  茅部郡第二組漁業頭取熊谷喜三郎願海面
                        (資料 二本柳文彦所蔵)