水協法制定

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 漁業の民主化の方向で漁業制度の改革の大方針が掲げられ、昭和二三年一二月、まず水産業協同組合法(略称「水協法」)が制定され、昭和二四年二月一五日施行となった。
 設立の基準は明確化され、漁業協同組合の設立はある意味では容易になった。郷土は、臼尻村漁業会区内が改組して大船・臼尻・安浦の三単協が設立された。尾札部村漁業会の区内は川汲尾札部・見日・木直・古部の五単協の設立をみた。
 道内も昭和二三年の漁業会数の一三二から昭和二四年の新漁業協同組合の数は二〇九(昭和二六年には二一八組合)の設立をみている。
 最も増加を示したのは、桧山と渡島管内であったという。
 漁業制度の改革による旧漁業権の消滅に伴って、国家が買い上げ補償として投入した財政資金は、全国一八一億五、八〇〇万円、うち北海道分五二億一、四〇〇万円で、全国の二九%に当たっていた。
 このうち専用漁業権に対する補償金が三二億四、〇〇〇万円で、定置漁業権に対して一九億二、〇〇〇万円、特別漁業権は四、五〇〇万円、区画漁業権二〇〇万円であった。全道において渡島は全体の二八%を占めていた。
 この補償金額の配分比率は漁業権の享有態別に、漁業会に六六%、個人三〇%、会社六%であった。
 補償金の支払いは、漁業法施行法第一六条第二項の規定により、国の発行する証券で支払われた。すなわち、これが昭和二七年末までに旧漁業会に交付された漁業権証券である。
 分立独立による新組合の設立発足でその規模が小型化し、財政運営においても大きな悩みをかかえていた各単協にとって、旧漁業権証券の分配は大きな魅力であった。
 「続北海道漁業史」は「漁業権証券の資金化等はこの法律(註 再建整備法)以上に大きな力を組合に与えたことは明らかで(略)、一般組合も三年間で出資金が約三倍に増加した。これは証券の資金化が大きく左右していることは確かであるが、再建整備組合は三・七倍に増加している」と評価している。