野(の)の字(あざ)

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明治一一年に開拓使授産係七等属後藤氏久が、茅部山越両郡を巡回したときの「各郡巡視民情景況探認録」(北海道所蔵)に、
 尾札部村「村背ニ在ル野ノ字(アザ)ヲ一本木野、見日野、尾札部野、後駒野、著保内野、河汲野、精進川野ト称ス。此面積合シテ四十万坪余。牧場ハ後駒野ニ在リ」と記している。
 郷土の人たちは海岸に沿う家並の背面(裏山)の台地を、おおむね「野」という。広い平らな土地のことで、畑に適している土地の意味もあり、野といわれるほとんどの土地は、明治の中頃までには開墾され耕作地となった。
 この探認録には、人民出願の品類として樹種のほか、「赤玉蜀黍種一升、ハゼ玉蜀黍種一升、蕨種一升五合、小麦種一升」とある。
 臼尻村「野ノ字(アザ)(略)板木野、臼尻野、大船野、磯谷野、幌野等ト称ス。此、面積合シテ百九十八万坪余」と記している。
 大船野は大船川右岸の土地で、現在の字豊崎の裏山である。昭和一六年後の現行の字大船と誤りやすいので注意を要する。
 磯谷野は現在の磯谷野、幌野は望路(ぼうろ)・黒羽尻地区である。当時、ここは臼尻村の飛地となっていた。
 熊村「野ノ字(アザ)ヲ金平(キンベイ)崎野、枯木(かれき)野、尾留(びるどまり)野」