明治四五年六月三〇日、尾札部村第一回馬鈴薯立毛品評会が開催された。会長は尾札部村長千葉忠次郎で、審査委員に北海道庁農業技手松本剛を招いた。村民の関心も高く盛況を極めたという。
尾札部の大佐藤家に、このとき馬鈴薯一等賞・尾札部佐藤忠次郎の賞状が保存されている。
立毛品評会は各村で熱心にひらかれ、農事へのとりくみもより科学的な方法がとりいれられていったという。
明治三〇年頃、警察を退職した石川庄助が、尾札部村八木沢で林檎園を栽培した。のちの上坂本の畑の辺りだという。石川はここで養蚕も始めている。
川汲の山口家では、最も長期に梨などの果樹の栽培をし戦後もつづいていた。見日の渋田武雄も、見日川の上流に林檎や梨の果樹園を経営していた。
明治以来、多くの人たちが果樹の栽培を試みたが、この地方の汐風のためか、気温や日照時間の故か、果実が大きくならず、甘味も乏しく成功には至らなかった。