目次
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第七編 産業
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第一章 農業・牧畜
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第四節 養蚕
養蚕実行組合
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駒ケ岳噴火で荒廃した山野には、桑の木がいちはやく芽を出したという。
臼尻
村・
尾札部
村ともに養蚕の導入にとりくみ、技術の指導をおこなった。昭和六年一〇月二三日、
臼尻
村養蚕実行組合(組合長北越栄吉)と熊
泊
養蚕実行組合(組合長高谷要作)が設立発足した。熊
泊
(大船)はとくに熱心に養蚕にとりくみ、高谷組合長はじめ副組合長村上長三郎、書記会計高谷喜太郎らが力を尽した。
蚕を飼育している漁家の主婦や子どもたちは、山野に出て桑の葉を摘み、朝夕二回ずつ葉をとりかえてやる。七月の初めまでには蚕があがるので、シオゴシ
昆布
採取にも支障のないことから養蚕は漁家の副業に適していた。
出来た繭は、村中から集めて弁辺村(豊浦町)の乾繭所(かんけんじょ)へ船で運び、製品にした。
乾繭作業 村上元三郎提供
尾札部
村勢要覧(昭和七年版)に、養蚕実行組合一、組合員二三名とある。
臼尻
・熊
泊
と同様、昭和六年か七年の初めに養蚕組合が設立されたものと思われる。