〔鱈肝油製造の試み〕

227 ~ 228 / 1034ページ
 北海道で鱈の肝油がはじめて試製されたのは、明治元年のことである。開拓使事業報告によればこの年、箱館の医師五藤精軒が、箱館裁判所に願い出て、鱈の内臓から肝油を製造することを許され、この原料を鱈漁のさかんな茅部郡の村々から買い集めて肝油の製造を試みた。しかし、製造法の研究が進んでいなかったので、純粋な肝油を得ることが出来ないまま間もなく中止したといわれる。
 「函館病院百二十年史」(昭和五七年刊)は、その沿革を鈴木要吾著「明治一〇年前後の日本医学界」より引用して創立期について記している文中に、「箱館知府事清水谷公考に随従した後の大阪医学校長吉田顕三、同じく後の侍医安藤精軒、御雇英国海軍軍医デメルキ等が、彼地に北門府民政方病院を設立した」とある。
 「侍医安藤精軒」は、「箱館裁判所人名録に「参事席 安藤精軒、病院掛 深瀬洋春」らとともにその名をつらねている。鱈の肝油製造をはじめて試みた医師五藤精軒と一字違いの人物である。
 「殖民公報」(明治三四年刊)や「新撰北海道史」(昭和一二年刊)に記す五藤精軒は、前記の安藤精軒と同一人物か別人かは明らかではない。
 
   箱館裁判所人名録
  参事席  安藤精軒
  病院掛  深瀬洋春
  従事席  クスリ詰病院掛  上堂三生
           病院掛  長野晶栄
  給事席  石狩詰 病院掛  丸山淳平
           病院掛  竹内三太夫
  趨事席      病院掛  吉田群蔵
  属事席      病院掛  鈴木三右衛門
  民政方病院掛モロラン詰病院掛  佐野東蔵
     病院掛        穂積怡之助