戦時中、乗合自動車の運行は中断したが、戦後、尾札部村は函館市の協力を得て川汲山道の改修がなり、昭和二五年より函館バス(株)による定期バスの運行が開始された。
昭和六年からの大沼(公園)駅、昭和二〇年鷹待(鹿部)駅、昭和二二年銚子口駅を迂回する路線から函館への距離は近くなったが、冬期間は積雪のため同じく鹿部経由で国鉄、または函館バスに頼らざるを得なかった。
昭和三〇年末、函館市の協力のなかで道や国に請願をつづけ、昭和三九年、川汲山道森・南茅部線、川汲山道部分の改良工事延長五、七〇一メートルが着手され、四二年二月一七日、川汲隧道延長一、一五〇メートルが貫通、昭和四三年一二月全線開通した。
昭和四四年、山道の入口は川汲川左岸に切替工事が行われた。