明治三〇年代には、道内の鉄道線が伸び、明治三六年には大沼と軍川駅が開業した。鹿部・大沼間の交通が発達したのでこれに即応して、明治三六年から尾札部・臼尻・鹿部の沿岸道路の開削を願う運動が高まる。
明治三六年、各村代表を送って沿岸道路の開削を協議し、各村一〇〇円ずつを出費して里道変更線の設計書を作成し、北海道庁に提出した。
明治三七年四月一八日受付としている「臼尻村・熊泊村里道変更線開鑿工事設計幷に一覧図」(設計・町井工業事務所)がある。
望路(大岩)の中の川から主として山越えとなり、ポーロ岬・黒羽尻・犬くぐりの三か所を迂回して、蹴勝浜へ下る山道である。
この図は、昭和初期開発される沿岸路線の設計とほぼ類似している。
臼尻村 熊泊村 里道変更線開鑿工事平面図