尾札部村船入澗の築設は第二期拓殖計画外として、政府の時局匡救事業施設となり、昭和七、八両年度の拓殖費(農山漁村振興費)に計上された。
各地に散在する小漁業者の従業を保護するため、随所に軽易な船入澗施設を設けるものとした。
昭和七年一〇月八日起工され、昭和九年七月一〇日竣工した。総工費は六五、〇〇〇円であった。
設計 昭和七年 八年 九年 計
防波堤 六二七尺 一三二尺 四九五 六二七尺
突堤 一三五尺 一一九 一六 一三五尺
防砂堤 三二三尺 二六五 二六五尺
掘鑿 一、七一八坪 一、六四〇 一、六四〇坪
埋築 二、三三四坪 二、〇一六 二、〇一六坪
被覆面積 三、五五二坪
尾札部村船入澗は、昭和七年度より昭和九年度に至る農山漁村振興事業の一部として国営を以て築設された。管理維持の施行担當築港事務所長が所管した。そのため徹底が期し難く使用料の徴収も思いにまかせぬため秋冬季は、大形動力船に占據されて一般漁民の利用ができなくなることが多かった。昭和十二年利用統制上これを尾札部村に無償貸與しその維持修理は使用料の収入限度内とすることとなった。同じく地元町村に移管された小漁港は、管内元椴法華、小谷石(知内)、亀泊(鹿部)であった。
(木直小学校沿革誌)