〔熊泊鉱山大雪崩(なだれ)事故〕

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 明治四二年三月、磯谷川上流の山中にあった熊鉱山の住宅街を襲った大雪崩と土石流は大惨事を惹起した。雪解け水と山岳の融雪が、夜半、安眠中の人家を埋めて流れた。
 鉱山事務所は警察や地元の消防組に救援を求め、臼尻や鹿部の消防組が救援に馳けつけた。
 明治四二年三月三〇日、函館毎日新聞に「熊鉱山崩壊--長屋破壊し死傷あり」と報じられる。
 明治四二年三月二九日、午前零時四〇分ごろ、熊鉱山の鉱区に土石の大崩壊が発生した。
 熊硫黄鉱山は、磯谷川の上流泣面山の麓海抜一、三〇〇尺にあり、明治三六、七年に試掘され、本格的な採掘とその経営がようやく軌道にのったばかりの時であった。磯谷市街地より一里二五町余の山中にあった。遠藤吉平の名儀で函館仲浜町六番地ハウル社が経営する硫黄山である。
 当時の人口は一四五人、うち坑夫二七、杣夫四、理髪師一、その家族で、戸数三四戸、家屋四一棟。
 硫黄鉱は五坑口あり、一番坑、万盛(まんせい)坑、二番坑、三番坑、渡沢(わたりのざわ)坑の五つで、うち二と三のみ採掘中であった。
 三月の雪解けと前夜からの大雨で泣面山の急斜面の雪が一挙に土石流となって崩れおち、足下の鉱区の住宅を埋め、押し流した悲惨な事故であった。
 被害の状況を函館毎日新聞によって記すと
  長屋など一一棟が埋没。うち空屋二、住宅九棟、一一戸。
  死者   三一名。うち坑夫六名、家族二五名。
  重軽傷  二〇余名。