駒ヶ岳噴火は、沿岸の人々に、また、自然に大きな恐怖をもたらし変化を与えたが、反面、この災害のなかを生き抜いた人びとに、そして復旧に携わった町村役場や漁業組合や村々に、尊い人間関係と、新しい生産への意欲と郷土への愛着を与え残したことも大きかったといわれている。
災害復旧にかかわる沿革を書きとめると、次のような経過をみることができる。
昭和六年三月 駒ヶ嶽噴火災害昆布礁復旧(事業)費補助願 尾札部村漁業組合長能戸忠蔵
六年 駒ヶ岳噴火罹災地復旧費 国庫補助
八年六月 駒ヶ岳噴火災害昆布礁復旧事業成績報告書 臼尻漁業組合調査
一一年六月 昆布礁復旧記念碑除幕式 委員長 無限責任臼尻漁業協同組合長 臼尻村長宇野与三五郎
一二年六月一日 駒ヶ岳爆発災害誌 財団法人北海道社会事業協会 池田清
二九年六月一七日 駒ヶ岳爆発二十五周年記念 昆布礁復旧事業懐古座談会 北海道水産物検査所会議室札幌市北四西四
三〇年八月二〇日 駒ヶ岳爆発災害復旧事業懐古座談会(資料) 渡島支庁 鹿部村鹿乃湯温泉旅館
三四年八月二〇日 駒ヶ岳爆発三〇周年災害復旧事業懐古座談会 鹿乃湯温泉旅館
四〇年六月一七日 駒ヶ岳噴火災害昆布礁復旧記念碑建立三五周年記念 鹿部漁業協同組合 組合長理事荒木玉次郎