初代医員には内田義久が命ぜられ、四月一〇日、鹿部村・臼尻熊泊村・尾札部村聯合の設立によって、開院式がおこなわれた。
開設年月日 名称 所在地 明治一四・一〇上記を改称
明治一一・一〇・五開業 第一公立病院 函館豊川町 公立豊川病院
一一・一一・ 第二公立病院 山越郡山越内村 公立山越内病院
一二・一 ・ 第三公立病院 津軽郡福山村 公立福山病院
一二・三 ・ 第四公立病院 桧山郡江差村 公立江差病院
一二・六 ・ 第五公立病院 福島郡吉岡村 公立吉岡病院
一二・一一・ 第六公立病院 山越郡長万部村 公立長万部病院
一三・四 ・ 第七公立病院 亀田郡大野村 公立大野病院
一三・ 第八公立病院 島牧郡泊村 公立島牧病院
一三・一〇・ 第九公立病院 茅部郡森村 公立森病院
一三・一二・ 第一〇公立病院 久遠郡一艘澗村 公立久遠病院
一四・二 ・ 第一一公立病院 上磯郡上磯村 公立上磯病院
一四・四 ・ 第一二公立病院 上磯郡茂辺地村 公立茂辺地病院
一四・一一・ 公立寿都病院
一四・一一・ 公立歌棄病院
一四・一二・ 公立瀬棚病院
歴代の医員は村岡守司、岩田広道、相沢良恂、平井浪江であった。
海岸通りの陸路がまだ不便だったので、尾札部村や鹿部村からは、病人があると舟にのせて海路、澗に上陸して病院の診察治療をうけることが多かった。
明治二六年に至って尾札部村は、この聯合病院の経営から分離している。遠隔ということでその利用と経費の負担がみあわないこと、また、来村する医師もあったことが分離の理由であったらしい。
そして、翌二七年、鹿部村も聯合公立病院から分離したため、臼尻・熊泊村だけでは経営が困難になったので、明治二八年に第二茅部病院は廃止された。
臼尻村は無医村となることをおそれ、村費をもって臼尻村に村医を招聘することをきめた。明治二九年、初代の村医として相沢良恂を迎えた。相沢は、この後永く臼尻村にあって医療活動をつづけ、のちに臼尻で開業医となり、牧場経営もはじめ、晩年、鹿部村に移り医業のかたわら亀の湯の開発にもあたった。
臼尻村立病院(昭和4年頃)中本家所蔵