学校設立伺

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郷土に最初に設立をみた臼尻小学校の沿革誌の冒頭、明治十一年の項には次のように当時の村下の子弟養育の実情を述べ学校教育の意義を説いている。
 
  抑〻当村ハ従来人民専ラ漁業ニ依テ生活スル地方ナレバ、児童ヲ就学セシムベキ場所等ナク亦父兄タルモノモ其子弟ヲ学習セシムルノ如キハ甚稀ニシテ殆ント意ヲ此ニ用ヰザルカ如シ。唯、手足長伸、筋骨強壮ニ至ルヲ以養育ノ道足レリトスルモノノ如シ。而シテ僅カ十三、四才ニ至レバ家業ニ従事セシムルカ故ニ概子(おおむね)無筆無算ノ徒ナリ。然ルニ維新以降、教育ノ道日ニ月ニ隆盛ニ赴キ各地陸續学校ノ勃興アリ。随テ往々尚ホ幼年ノモノニシテ能ク算勘信書ヲ辯スルモノアルヲ見、此ニ於テ實ニ教育ノ一日モ欠クベカラザルヲ悟リ是以テ本校ヲ設立スル所以ナリ。
    明治十一年十一月 本校設立
 
 明治一一年の臼尻学校を嚆矢として郷土の各村々には相次いで学校設立の気運が高まり、明治一三年、尾札部・熊に開校。翌一四年には川汲と木直の私塾が公立学校設立となり、一五年、古部は木直学校の分校として設立をみるに至った。北海道庁に所蔵されている学校設立伺・留により郷土各学校の設立時の事情が詳細に記されている。また、函館新聞に鹿部・川汲・木直校の開校(開業と記している)の様子が報じられている。