臼尻小学校 (臼尻小学校沿革誌)
大正四年十一月七日。
今回臼尻熊泊両尋常小学校へ御影御下賜ニ付參廳方命セラレタルヲ以テ 拝受ノタメ村長ハ學務委員一名、村部長一名ト共ニ、十一月五日出函。
翌六日函館支廳ニテ拝受。
學務委員及村部長奉衛、大沼ヲ経テ、午後四時茅部郡鹿部村ニ着。同地宿泊ニ付、御影ハ鹿部村鹿部尋常高等小学校奉置所ニ奉安ス。
翌七日ハ御影ヲ唐櫃ニ奉納シ、白丁ヲ着ケタル臼尻青年團員二名之ニ奉仕シ、午前八時鹿部村出発。
午前十時村界ニ至ルヤ、當村駐在ノ警察官警衛ノ任ニ當ル。村界ニハ、役場吏員・村會議員・帝國軍人會臼尻村分會員・赤十字社員・熊泊消防組・熊泊青年會・村有志者奉迎セリ。
字磯谷ニハ熊泊尋常小学校職員児童奉迎ス。
正午十二時、熊泊尋常小学校ニ御着。暫時休憩。
此処ニハ、臼尻村ノ官公吏・公職者・青年團員・消防組・赤十字社員・帝國軍人會臼尻分會員・愛國婦人會員及臼尻村有志・臼尻尋常小學校職員児童奉迎ス。
午後一時、臼尻村役場内仮奉置所内ニ御着アリ。
少憩ノ後、官公吏・公職者・赤十字社員・愛國婦人會員・臼尻消防組・臼尻青年團員・臼尻在郷軍人分會員ハ、役場學校ノ間ニ、職員児童ハ校庭ニ整列シテ御出迎ヘ申上タリ。
臼尻尋常小学校長ハ、職員ヲ引率シ仮奉置所ニ至リ、村長ヨリ拝受シ、警官先駆ヲ承リ、職員前後衛トナリ、村長・分會長・官公吏等奉衛シ奉リ、君カ代ノ奏楽ノ裡ニ、臼尻尋常小學校奉置所内ニ奉安シ奉レリ。
熊泊尋常小学校御影ハ、学校の都合ニヨリ、臼尻尋常小学校奉置所内ニ奉安シ奉レリ。十一月十日朝奉迎ス。
斯クテ午後三時ヨリ、臼尻尋常小學校ニ於テ奉戴式ヲ挙行ス。其順序左の如シ。
御影奉戴式
一、著席 職員・児童・参列者
二、修禮
三、學校長 御影奉拝式挙行ノ旨ヲ告グ
四、御影開扉 最敬禮
五、君カ代 二回
六、職員児童参列員 御影ニ対シ奉リ最敬禮ヲ行フ
七、教育勅語 戊申詔書奉讀
八、御影 閉扉
九、村長 長官訓示ヲ傅達ス
一〇、學校長誨告
一一、學校長儀式終了ノ旨ヲ告グ
一二、修禮
一三、退席 参列者・職員・児童 以上
因ニ、本日ハ各戸國旗ヲ掲ケ敬意ヲ表シ、全村挙ケテ奉迎シ奉リ拝戴式ヲ挙行スルヤ、式場ニ當テタル戸内運動場ハ、参列員ノタメ狭隘ヲ告ケ、止ムナク場外ニ立テルモノサヘ見エタリ。
カヽル条数ナルニモ不拘、奉迎並參列ニハ頗ル厳粛ナリシハ、榮エ行ク大御代ニ率土ノ濱ニマデ、大御恵ニ湿ヘルヲ感泣セルモノト覺エタリ。
並ニ唐櫃奉任ノ光榮ヲ担ヘル團員二名ハ、臼尻青年團長ガ團員中ヨリ品行善良ニシテ模範的團員ヲ選出シテ之ニ當テタルナリ。
(奉迎)関係者 臼尻村長 吉川迪 村部長 村井己代松
臼尻尋常小學校長 天野金七 白丁ノ青年團(員) 加我藤太郎
學務委員 磯野太三郎
この記録は、戦前の学校教育の根幹に触れるものである。天皇陛下の御真影が、各学校に下賜されると、その保管、取扱いはすべて学校長の最も重大な責任のもとに行れるお達しになっていた。御真影のほかに、教育勅語ほか詔勅も下賜されているので、日々の巡視も第一番に保管の状況を見回り、気象や治安の変事には、真先に貴重品として教員護衛のもとに学校長自身が奉戴することになっていた。もし、如何なる事情にせよ御真影または詔勅が損じたときは、ただちに学校長の進退問題となるという厳しい取扱い要領となっていた。戦後の社会の意識では、とても想像のつかない状況下にあったことだけは確かである。
どこの学校でも湿度や火災・地震などからこの大切な品々を護るため、白壁造り・煉瓦(れんが)造り・鉄筋コンクリートなどの堅牢な奉安殿(奉置所)を建築して、厳重に施錠して保管した。学校に出入りする者は何人といえど児童は勿論、出入りのとき奉安殿に向かい最敬礼をして通るのを大事なきまりとしていた。
臼尻小学校奉置所 昭和10年当時 下郡山信一所蔵
磨光小学校奉置所 昭和10年当時