社会体育活動の推移

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大正期に入ると青年会活動が盛んになり、何よりも運動競技に関心が集まる。
 大正一三年六月一四日、函館毎日新聞主催の第二回少年オリンピックが柏野運動場で開催される。出場一六校、選手三〇〇名であった。磨光小学校から飯田縫・杉谷りつ・吉村キワ・渡辺はるゑが女子二〇〇メートルリレーB組予選に出場、一着となる。また、同校の池田十郎はハードル競技に出場、B組予選一着となり活躍した。と、当時の新聞はその盛況を伝えている。
 同年六月二九日、第一回渡島聯合青年団競技大会が函館中学校グランドで開催され、尾札部村汐谷勝磨は四〇〇メートル、杉谷梅一は二〇〇メートルに出場、いずれも一着となり活躍した。
 大正から昭和にかけて野球が普及した。尾札部村・臼尻村各地区に野球チームが結成される。昭和一〇年、尾札部川上流の左岸にグランドがつくられた。のち八木川左岸の海産干場を整備して沿岸の野球大会が開催された。戦争で一時中断したが、戦後、野球の復活は早く、各地区にチームが結成され、野球大会が開催された。
 昭和二九年七月、尾札部村青年陸上競技大会が尾中グランドで開催され、同七月、臼尻村では村民体育祭が開催された。
 昭和三六年七月九日、第一回町民体育祭が開催される。
 昭和三八年二月一九日、著保内野の町有林を開放して町営スキー場が開設され、記念スキー大会が開催された。

町営磨光スキー場開き 昭和38年2月19日

 昭和三九年五月一日、南茅部町体育協会が設立され、初代会長に内藤米雄が選ばれた。
 昭和四一年八月一六日、村社講平を招聘して尾札部中学校で講演と実技講習を開催した。同九月二一日、南部忠平の来町があり、尾札部中学校で講演会がおこなわれた。
 町の体育協会の行事は年々増加し、町長旗野球大会、駅伝マラソン・卓球・バレーボール・弓道・剣道など競技種目も増加していった。
 昭和四三年、北海道百年渡島スポーツ大会で、陸上競技において函館につぎ総合二位となり、翌四四年、第一回渡島大会では陸上競技で総合優勝を果たした。翌四五年には女子ソフトボールの部で、函館市を破って優勝した。
 昭和四四年四月二九日、第一回「歩け歩け」を実施、一〇月一二日まで六回実施して好評をうけた。
 同年九月六日、毎日新聞遠山販売店の好意で南部忠平が再び来町し、尾札部中学校で講演した。南部忠平は、昭和四六年来道の折にも、恵山経由の途中三度来町して、尾札部中学校で三度目の講演をして大きな感銘を与えた。
 昭和五八年、佐藤町長はスポーツセンター建設に意欲的に取り組み、臼尻小学校隣接の町有地に着工、翌五九年完成された。
 町民スポーツの最大の施設が整備され、社会体育課を新たに設け、指導体制も強化された。