熊若神楽

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(大船)の神楽は、南部八戸地方の神楽を導入したものである。
 大正七、八年ごろ、佐藤松次郎・山田久五郎・金沢梅太郎ら補習学校の仲間が、村の人びとに楽しんでもらおうと、いつも集まる歌浜の天婦羅などを商っていた橋本のばあさんの紹介で、八戸から師匠を招んでもらった。笛・囃しの師匠と踊りの師匠の二人が熊に来てくれて、木鎌田家の浜の倉庫の二階を借りて稽古をはじめた。
 神楽を習うというので、熊の青年たちが四〇人も集まったが、稽古が厳しかったのか、ひと通りのことを身につけるまでやり抜いたのは一七人だった。
 南部神楽は獅子を権現さまとして祀り、神楽は獅子を主体に、身を潔め、全員が拝むことから始まる。
 熊の神楽の獅子は、赤坂武登がクロワシの山の栃の根っこをとりにいき、師匠が彫刻してこしらえたものである。
 初公演は大成功で、村中の人たちに喜んでもらった。
 臼尻でも公演した。当時は木戸銭(入場料)はとらなかった。観客がハナ(ご祝儀)をあげてくれた。もらったハナは思いがけぬ大きな収入であった。公演が終わるまで指導してくれた師匠には、謝礼をしたり、沢山のお土産も差しあげて函館まで見送った。
 翌年の旧正月には、仲間が力を合わせ、自力で公演をした。仲間同志で芸を磨き、演物(だしもの)もふやしていった。
 毎年、旧正月の前後に日程をくみ、村内では木鎌田家や〓の佐藤家、上金沢家を会場に借りて公演した。そして臼尻・板木(安浦)・尾札部・木直へもでかけて公演した。鹿部村本別にいったときは、砂原からの声がかかったので、掛澗・尾白内・森で公演して大好評をうけた。公演の会場の交渉や警察の許可の手続などは、佐々木定之進・赤坂武登がもっぱら当たった。
 公演の日は、会場の家の前に「熊若神楽」の幟(のぼり)を立て、囃しと口上をふれながら街回りをした。地元では、旧正月に公演するほか、稲荷神社の例祭にも神社で奉納した。
 神楽は大いにもてはやされた。神楽を舞う若者たちは、神楽がとりもつ縁で結ばれる幸運もあった。
 
演物(だしもの)
 獅子舞   獅子の舞うとき「手綱(たづな)とり唄」をうたう
 三番(叟)  烏帽子様のをかぶって踊る
 鳥舞    鶏の冠をかぶって二人で踊る
 剣舞
  三本こうじ
  五本こうじ
 番楽    二人で踊る
 山ノ神舞  山ノ神の面をつけて踊る
 弁慶    二人で踊り
 杵ふり舞
 盆舞
 傘舞
 虎ノロ
 水車(みずぐるま)
 舅礼
 道化舞   幕合いに、ヒョットコと女形二人で踊る
衣裳
 踊り手は、女ものの長襦袢を着て踊る。袴をつけるものもある。
 絵を飾りつけた前掛け(前だれ)をしめる。
囃し
  熊若神楽は三拍子である。
  笛・大太鼓・小太鼓 鉦(かね)(ジャガスコ)
  踊り手も、交替で囃し方にまわる。
神唄           口承 佐々木定之進
〽 ケサ(今朝)イノヒ(日)ハヤ コガネ(黄金)ニマ(勝)シタル アサヒ(朝日)ナリヤー
  ナナエ(七重)ノクモ(雲)ヲ ア(明)ケテテラ(照)サル/\ヤー
  ドンツコドンツコ ドンドンツコツコ
           ドンツコドンドン……
〽 新玉の 年の始めの歳男(としおとこ)
  迎えて祀る 峯の若松 峯の若松
舅礼           口承 佐々木定之進
〽 七つ 仲人(ながど)は七段(しちだん)語る 語り尽して貰った嫁は
  手長げに 足長げに ちんぢれ髪だに 面赤げ
  とごとご くされて 眼くされで
  朝寝こぎだネ 尽寝こぎ 梃(てこ)の三本もかけられで
  傘(から)がさ小便ぶったれで その手も洗(あら)(わ)ねで飯(まま)炊いで
  それでもアンサマ(婿さま)黙ってで
  親爺の叱言(こごと)こタントタント
    アイコノジョウサク ソノワゲダンヨ
 (嫁を連れて実家へ姑礼にいく道中を唄ったタント節)
獅子舞の神唄        口誦 村上元康
〽 おがめや/\ただ拝め 拝まぬ神にたたりなし
〽 …  おさめ…    手にとりまくすてや
  四方の神が 開(あ)けて喜ぶ ハイヤーサーサ
幕出しの笛          口誦 村上元康
 〽 テーヒャラ テヒャラ
   トヒャレタルター /\
   トヒャルガ/\
口太鼓            口誦 村上元康
 
 戦争中、一時中断したが、戦後まもなく地域の青年活動が活発になるとともに、戦前の神楽の会員だった村上長興らが指導に当たり、熊若神楽はふたたび盛んに公演され、大船の人びとに大きな慰安を与えた。青年団長鎌田秀吉、西田勝美、金沢総三郎、西田千代松らが世話役となって、近隣の村々はもとより、函館の巴座で公演、大いに熊若神楽の意気とその名を高めた。
 昭和三〇年ごろまでつづいたが、前浜のイカ漁の低迷と社会の多様化のなかで神楽の活動ができなくなった。
 神楽の獅子は、大船稲荷神社に安置されている。神社の獅子は男獅子で、神楽の獅子が女獅子だともいわれ、左右に別かれて置かれている。衣裳や小道具類も神社に保管されている。
 かつて海岸の村々にその名を知られた熊若神楽を、大船の郷土芸能としてもう一度復活させたいという動きがある。できることなら神楽の伝承者が健在な今のうちに、後継者の育成と熊若神楽の公演の現実が望まれる。
    〈資料提供・協力 金沢梅太郎 佐々木定之進 村上長興 村上元康〉