年 代 室町時代 天文二十一年(1552)
形 状 花崗岩 高さ一四五cm ヨコ四五〇cm タテ三九〇cm
形 式 一字一石塔
概 要 浄土真宗本願寺派 多聞山西福寺
創建は南北朝時代の応安元年(1368)で禅宗の寺院であった。
天文二十一年槌山城が落城した。当時の住職は宝蔵といった。
槌山城の城番衆、菅田越中守・大森(大林とも)和泉守・尾和備後守ら3人の武将は、宝蔵に帰依して西福寺の檀徒となっていた。
3人の武将と供の兵士たちは、かねてより「先祖・後孫の菩提を弔ってほしい」と宝蔵に依頼していたので、宝蔵は大般若経六〇〇巻を転読し、また、莫大な数の小石を村人に運ばせて、石に経文を一文字ずつ書写し、土中に埋めて経塚を作った。このような塚を一字一石塔と呼ぶ。
この経塚は現在も本堂の西側に現存して石垣で塚が護られ、中央に五輪塔が造立してある。
(用語解説 一字一石塔 参照のこと)
[西福寺経塚]