神武天皇腰掛岩 じんむてんのうこしかけいわ

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所在地 東広島市西条町寺家
年 代 不明
形状 花崗岩 高さ七〇cm ヨコ一九六cm タテ一三〇cm
概 要 神武天皇東征の際、ここより一km東の六日市で腰を掛けられた岩として伝承されていた。後に神武天皇を祭神とする賀茂神社が創建された。
 賀茂神社が焼失したので新宮神社に合祀され、その際腰掛岩も境内に移された。
 その後手水鉢に造りかえられ、神武天皇腰掛岩として伝承されてきた。
 神武天皇腰掛岩は「記紀伝説」にある安芸郡府中町埃宮の松崎八幡宮跡にもある。
  「記紀」では次の宮は吉備の高島の宮(現倉敷市児島)である。その道は陸路と想定されるので、府中と西条は古代山陽道で結ばれていたことと合わせ考えると壮大なロマンを感じる。
 昭和十五年(1940)の皇紀二千六百年記念式典には広島県知事が神武天皇ゆかりの当社に奉幣使を参向させ幣を献じた。
 この神武天皇腰掛岩には盃状穴が9穴彫られている。厚く信仰されていた証拠である。
 この神武天皇腰掛岩盃状穴を主題にする場合には新宮神社盃状穴と呼称する。
 (用語解説 新宮神社および盃状穴参照のこと)

[神武天皇腰掛岩]