4 宝篋印塔 ほうきょういんとう

88 ~  / 109ページ
 形態 下方から方形の基礎、塔身、屋根(笠)、相輪からなる塔で、屋根の四隅には隅飾を有する。
 名称の由来 中国伝来の小型金属製で形状が宝篋印塔に似ている銭弘俶塔に宝篋印陀羅尼が納めてあったため、日本でこの種の石造塔を宝篋印塔と称した。
 造立の目的 本来は供養塔であったが後に墓塔としても採用された。
 形式 基礎部を反花(かえりばな)で装飾し、側面に格狭間(こうざま)を配している。塔の構成要素が多いので細部の構成は多様である。
 関東式と関西式があり、中国地方には特有の越智式がある。
 起源 呉越王銭弘俶(929~88)がインドの阿育王が作った舎利塔の故事にならって、仏舎利はないので宝篋印陀羅尼に替えて納め、八万四千個の金属小塔を諸国に頒布させた。このうちの数基が日本に伝来し銭弘俶塔と称した(中国では金塗塔と称す)。
  宝篋印塔は銭弘俶塔の特徴を備えているので、従来は日本を起源とする説が有力であったが、最近中国の石造宝篋印塔について日中で研究が行われ中国を起源とする説が有力である。
          (用語解説 阿育王 参照のこと)
  最古の紀年銘 輿山往生院宝篋印塔 奈良県 正元元年(1259)