大和政権下の中央の人々は、東北地方を辺境と見なして、そこに住む辺民を「エミシ」と呼びならわしていた。この「エミシ」という音は、早く『
日本書紀』神武天皇即位前紀に載せられた
久米歌(くめうた)(神武天皇の戦勝に際して舞われた久米氏による久米舞に伴う歌)に、「愛瀰詩(えみし)」と一文字で一音をあらわす万葉仮名風の用字で記録されている(史料一・写真5)。もっともこの
久米歌は、大和の八十梟帥(やそたける)を国見丘(くにみのおか)で破った後、さらにその残党に、酒を呑ませて酔い潰れたところを一気に全滅させたときのものであって、直接に東北地方の蝦夷を指しているのではない。このエミシの語源・語義については諸説あるが定説はなく、よくわからない。ただ
アイヌ語の「エン(ム)チュ=人」と語源を同じくするという説が今のところ有力である。
写真5『日本紀標註』巻之五
「愛瀰詩」の表記