五所川原窯跡群の操業

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九世紀中葉以降、大集落が営まれる津軽平野の大規模開拓の時期に呼応するかのように、五所川原須恵器窯跡群が操業を開始し、それまでの搬入品の須恵器に取って代って津軽地方を中心とする地域での須恵器の主体を占めるようになる。この窯跡群は、壺・甕類の成形技術上の特徴の違いから持子沢(もっこざわ)に点在する窯跡群(持子沢系)と前田野目(まえだのめ)川上流地域に点在する窯跡群(前田野目系)に区分され、集落跡から検出されるふたつの広域テフラ(火山灰)との関係で、時期的には前者から後者への推移が明らかにされていたが、さらに前田野目地域に位置する犬走(いぬばしり)窯跡の調査により、廃絶した窯の上層に白頭山-苫小牧火山灰が検出され、犬走窯跡の製品は、器種・構成・製作技法などから五所川原産須恵器のなかでも中ごろという時間的位置づけがなされた(図17)。五所川原須恵器窯跡群の操業期間は、九世紀後半から一〇世紀後半ばごろと考えられているが、一般集落への須恵器の供給が行われるようになったこの時期、五所川原産須恵器は、津軽地方の各集落を主体としながら青森県内全域に分布するほか、南限は日本海側では米代川流域、太平洋側では馬淵川上流域を結ぶ北緯四〇度ライン、北方は石狩低地帯を中心とする北海道の各地にまで及んでいる(図18)。

図17 五所川原窯の須恵器編年


図18 五所川原窯産須恵器の出土分布図