中央の記録に東北地方での蝦夷の反乱がみえなくなった、一見平和なこの時代は、しかしそれとはうらはらに、そのさらに北に広がる世界である青森県域から北海道道南部にかけて、集落を環壕(かんごう)や土塁(どるい)で囲むことを最大の特徴とする、日常的な戦争の存在が前提となる、防御性集落が出現してくる時代でもあった。
こうした環壕集落を「防御性集落」と呼ぶことには、考古学の立場からの反論もあるが(詳しくは本章第四節参照)、頑強な壕を有するもののなかには防御を主目的とした集落が存在した可能性は高い。防御性集落には、いろんな類型があるとはいうものの、いずれも日常的な敵の存在を予測させるもので、これまで平和な時代といわれてきた通説に反して、この時代のこの地域の社会情勢が、必ずしも安定的なものではなかったこと、また北の世界が、中央の記録に残らない独自性をもっていたことを示す貴重な事例である。こうした防御性集落の登場の背景には何かあったのであろうか。