エゾ呼称の発生

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すでに本章第二節一で触れたように、「蝦夷」という漢字の訓(よ)みは、古代において徐々にエミシからエビスへと変化していった。そして一〇世紀ころ、それらに代わって新たにエゾという訓みが現われた。
 応徳三年(一〇八六)の「前陸奥守源頼俊申文(みなもとのよりとしもうしぶみ)」(史料四六一)にみえる「衣曽別島」の「衣曽」をエゾと訓めるとすれば、これが文献で確認できる最古のエゾ呼称となる。また中央の人々がエゾという呼称を広く使うようになるのは、もう少し下って院政期あたりであろう。
 一二世紀初めまでには成立していたといわれる『今昔物語集』、あるいは院政期の和歌などには、ツガル・チシマなどとともに、エゾという呼称がかなり使用されている(史料五一六・五一七)。たとえば前項で触れた『今昔物語集』の胡国の説話(史料四三七)にみえる「夷」については、写本によってはエゾと古訓(こくん)をつけているものがある。
 ここで注目されるのは、安倍頼時とその奥地の夷=エゾとを区別した書き方となっていることである。同じ事例は他にもあり、やはり『今昔物語集』の説話に、「源頼義朝臣、安陪貞任らを罰ちたる語」(巻第二五の一三話)というのがあって、そこでは安陪頼良(頼時)について、「父祖世々を相継ぎて酋の長なりけり」としている。その「酋」の古訓のなかでは、シュウと文選訓みするものも多いが、またエビスとする写本もある。いずれにしろ「夷」とは区別されて「酋」とされていることだけは確かである。
 また本章第三節末でも触れたように、この直前の時代には、ちょうど渡嶋という呼称が姿を消していた。エゾとはこうした時代に登場してきた訓みなのである。