この安日については、古代の日本創世神話である『古事記』『日本書紀』中にはまだその名がみえない。その確実な初見は、妙本寺本『曽我物語』(史料一一五六)であって、起源は鎌倉後期にまで遡(さかのぼ)る。中世に生きた人々の意識のなかでの日本創世神話(すでに『古事記』や『日本書紀』とはかけはなれた神話が流布していた)において、神武天皇登場以前に日本を統治していた「鬼王」として、安日は極めて重要な役割を担っていた。
その後、神代絶えて七千年間、安日という鬼王世に出ずる。本朝を治めること七千年。その後、鵜羽葦不合尊第四代御孫子神武天王世に出でて、安日と代を諍(あらそ)いし時、天霊より剣三腰雨下り、安日が悪逆を鎮めて天王勲をなし、安日が部類を東国外浜に追い下さる。今の醜蛮(えぞ)と申すは是なり。
これによれば、安日は神武天皇に敗れて一族もろとも「東国外浜」へ追放され、その子孫が蝦夷になったという。外浜とは、津軽半島の陸奥湾側(東側)の地域であり、中世において、日本国の東の境界と認識され、まさに鬼の住む世界として恐れられていたところである。
この説話はもちろん中央での認識を示しているが、廻国の信濃巫女らによって、北方世界にまで語り伝えられていたらしい。それが安藤氏の系譜に取り入れられたわけである。
ここで注目されるのが、安日が蝦夷の祖先であると認識されていることで、つまり安藤氏は、自らを蝦夷の子孫と位置づけていることになる。数ある有力な中世豪族のなかで、こうした自己認識をもつものは、ほかには見当たらないであろう。