安倍高丸

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このことは安藤氏の系譜認識に一貫して見られるものである。安日から系譜上、数代後に位置づけられた「高丸」なる人物もそれで、高丸とは悪路王とも呼ばれた坂上田村麻呂に対する抵抗伝説上の人物(モデルは実在の蝦夷の英雄阿弖流為(あてるい))である。鎌倉末期頃から武家風に高丸ないし安倍高丸と呼称されるようになり、天台系の聖(ひじり)によって各地に語り広められたという。
 この安倍高丸を安藤氏の系譜に関連づける史料の初見は、南北朝期の延文元年(一三五六)成立の『諏方大明神画詞』(史料六一七)で、そこでは安藤氏について「安倍氏悪事ノ高丸ト云ケル勇士ノ後胤ナリ」とされている。これまた中世にまで確実に遡る系譜認識である。この「悪事」から「悪路王」の名が生まれた(写真128)。

写真128 悪路王の首