系譜認識の変化

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こうした中世以来のさまざまな伝承を統合し、それを北奥世界の自立意識に適合するように改変して成立したのが安藤氏の諸系図であるといえよう。安日・高丸・安倍氏、いずれも、中央からの支配強化に対して激しく抵抗した強烈なイメージに包まれており、まさに朝敵ばかりを系譜の冒頭にちりばめているわけである。通常、自家の系譜作成においては、美化することはあっても、悪事を書き並べることはまずない。安藤氏系譜の特異性は際立っている。
 もちろん、現在に伝えられている諸系譜には、近世社会の成立による「ひのもと」世界の消滅に伴って、相当の改変が加えられている。たとえば『秋田家系図』では、中央への反抗伝承を和らげ、また敗戦の歴史などは切り捨てて、相当美化されたものとなっているのは止(や)むを得ないところであろうか。
 織豊政権の成立以後、日本統一が進む過程で、通常の豪族と同じように、中央指向が強くなったことの結果である。織豊政権の時代を経て、本州の北の果てまで中央政権に組み込まれるようになると、秋田氏のなかでも「勅免の論理」が振りかざされるようになり、かつての朝敵も、天皇によって勅免されることによって罪が清められたとされるようになり、かろうじて系譜上にその名のみを残すことが許されるような事態にまで至っている。