乳井の著述においては「今日唯今」とならんで「用」「功」「実」という言葉が頻出し、彼の思想を理解すべきキーワードとなっている。乳井は物事を絶えず「用」の視点に差し戻してとらえようとする。つまり、事物は存在それ自体として自足的な価値を有するわけではなく、何かとの関係において「功用」を発揮したときに初めて価値が認められる、と考えるのである。たとえば、水。それは用いられてこそ貴重な水となる。いかなる「清水」なりとも、それが用いられなければ「濁水の功用」に劣る。学問もまた然(しか)り。学問は徹頭徹尾「用」に立つべきものでなければならず、「用」に立たなければそれは「聖教」ではない。
「聖学の用は田を耕し穀を収めて、井を鑿(ほ)り水を求るが如きの事務なり」と彼はいう。「聖学」についてのこのような言い回しは単に比喩(ひゆ)としての表現ではなく、彼においては文字どおり「田を耕し穀を収める」ことは「聖学」の内に属するものとしてとらえられていた。事実、彼は自身の陸稲耕作の経験に基づいて、冷害の頻発する寒冷地では水稲より陸稲の方が適しているとして、耕地の規模や形、播種の方法、作付けの方角等々の陸稲栽培技術に関する書、『陸稲記』をも著している。彼にとって学問とは天下国家に実益をもたらすものでなければならなかった。それゆえ、農業や土木、測量学、実用数学が「聖学」の一環として彼の学問領域の射程に入ってくるのはごく自然のことであり、彼はこれらの領域の著述を多く残している。彼は机上の学問を空理空論として認めなかった。
彼には真理を行動と実用の見地からとらえてゆこうとする自覚的な考え方があり、内省よりも実践を重んじた。そしてその実践における真理値は、用に立つか否かによって検証され決定される、と考えた。したがってはじめから固定した原理や絶対的な真理があるわけではない。同じ行為でもその時々の状況によって持つ意味合いが異なってくる。また状況が変わればこれまでの基準が無効となり、新たな対応を迫られることは往々にしてある。したがって「時の一字」を知り、旧例に馴染まず臨機応変に現実への有効性を指標として判断行為していくことが、国家経営の任に当たる者には求められる。「士」「学者」とはまさしくその任にあずかるものではなかったのか。しかるに「今の学者は礼経の文言文字の訓詁(くんこ)のみを学び、敢て治国の大用に施すことを志さず」といったていたらくである。「先王孔孟」を学ぶのではない。「先王孔孟」が求めたものを学ぶのである。『六経』は「道の跡」、いわば「糟粕死物」であり、「道」そのものではない。「先王孔孟」が求めたところのものをくみ取り、それを「今日唯今」に役立てるのが「学者」の務めである。古典はそれ自体に価値があるわけではない。それに意味を付与して価値をあらしめていくのは「今日」の「吾」である。「死したる孔孟を貴びて国家何の益かある」。大事なのは「孔孟」を「今日」に用立てる「吾」の裁量である。ここには、「古」と「聖人」とを絶対視することなく、「今」の「吾」の主体的要請によって、それらを道具としていかようにも自在に読みこなし使いこなしていこうとする強烈な目的意識がある。それは「実」と「用」を踏まえて立つ主体意識の覚醒といってもよい。このような立場から乳井は古典を自在に解釈する。例えば彼の老子解釈には彼の思想がみごとに投影されている。