幕末維新期の民衆像といった時、典型的な事例が「ええじゃないか」の乱舞、空から降ってくる御札に群がる人々といったように、時代の激変を予感した人々による混沌(こんとん)とした不安が表現された諸事件だろう。民衆は口々に「世直し」を唱え、勤皇派はそれを民衆扇動に利用して政治的に幕府を追いつめようとした。「世直し」とはこの時代に社会的・政治的変革を期待する民衆の意識を表出した民衆闘争であり、「世均(よなら)し」(貧富の差の平均化=経済的平等化)を求めた運動であると説明されるが(『国史大辞典』一四 吉川弘文館刊)、弘前の民衆はこの定義に当てはまるのであろうか。もちろん弘前や津軽地方で、江戸や上方同様に庶民の爆発的乱舞や打ちこわし、御札の降臨(こうりん)といった現象が起こったわけではない。しかし、封建制の枠組みや秩序を下から突き崩そうとする動向はなかったのであろうか。以下、市域民衆の精神世界、人々の移動と浮遊化、風俗秩序の変化といった観点から、当時の民衆像の一端を考察したい。