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慶安二年(一六四九)ころの「弘前古御絵図」(弘図津)には紺屋町に一〇〇軒ほどの「こうや(紺屋)」が認められる。紺屋は藍を染料とした藍染業者のことであるが、津軽領における染に関する最も古い史料である。ここでは、藍染のほか紅花染・紫根染などについて、それら染料の調達方と利を中心に述べる。

図141.紺屋町にみえる「こうや」