紅花も古来から使用されていた染料で、領内でも適地で栽培されていた。「国日記」での初見は天和三年(一六八三)六月十八日条であるが、紅花買い上げに当たっての員数調査の記述である。元禄十四年(一七〇一)二月二十二日条には、植栽について風が激しく根付きの悪い土地での種蒔き法(沢蒔き)や、種子の扱い方(一年間囲い二年目に蒔く)を述べてあり、摘(つ)みとった紅花は寝かせるほど発色が良くなるなど、紅花の栽培や利用などについて記されている。
作付けと収穫量について、「国日記」享保十三年(一七二八)一月二十七日条では、一反(約九九一平方メートル)に種子一升五合(二・七リットル)を播種(はしゅ)した場合、上作では反当たり、上摘花六斤(二〇〇匁一斤で七五〇グラム)で代銭四八匁。中作で中摘花三斤(三七五グラム)で代銭一八匁。下作では下摘花三斤、代銭七匁となっている。