満行院

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満行院(まんぎょういん)は、「旧記録」(同前No.四一〇)によると、延宝五年(一六七七)に越後出身の日充が、本行寺七世日義に頼んで創建したという。「重宝錦嚢」は、これを慶安二年(一六四九)のこととしている。『新撰陸奥国誌』によれば、明治三年(一八七〇)、受源院に合併されたが、同七年、本行寺二八世日熈が復興した。