学区・学校聯合区の改正

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明治十四年(一八八一)十月、県はこれまでの「学校聯合」(九年決定)を廃止して「学区割」に改めた。隣接する学区が聯合して一校を設置することをやめ、一学区一校設置の「学区割」を実施した。そのため県内には、一校一教室程度の小規模校が多数出現し、学区民が少ないため地によっては学校経費の割賦が高額となって、そのため学事が停滞した。「学区割」は小学校と地域住民の結びつきを深くさせたが、経済的には重い負担となった。それを緩和するために出されたのが同十七年の学区及びその学聯区の指示である。