青森県立弘前女子師範学校

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明治十年(一八七七)十二月五日、県は弘前に女子師範学校を設置するが、入学者は学費など一切自弁で、四〇人を限って募集することにし、校舎は弘前元寺町にある含英小学に設置されることになった。予科生四〇人の募集に対し入学者は二四人。同じ予科生でありながら、修業年限が男子の九ヵ月に対して女子が二ヵ年なのは、女子の学問の低さを勘案したものだろうか。
 その後入学者が増えたものか、十三年度『青森県学事年報』によると生徒数三五人になっていて、卒業者は一二人になっている。及第率三四%という数字に当時の女子就学の難しさがわかるであろう。また、弘前女子師範学校附属小学校には含英小学がなった。なお、学科目は初等科は修身、読書、習字、算術、地理、物理、教育学、学校管理法、実施授業、裁縫、唱歌、体操となっているが、唱歌は教授法が整うまで欠くことにした。中等科は初等科の科目に歴史、図画、博物、化学、家事経済を加えた。しかし、県会議員の中には女子師範学校廃止を唱える者が多く、女子師範学校への入学志望者の減少、入学したものの教科についていけず原級に留まる者の多いこと、十三年に一二人の卒業者を出したきりで、卒業者の出ない現状、さらに学校経費が高額となって県の財政を圧迫したことなどで十八年五月には廃止された。