市制施行後の明治二十五年(一八九二)に弘前商業会が結成された。同会は、会長が宮本甚兵衛、副会長が菊池定次郎で、岩井彦太郎、白井武造らが発起人に名を連ね、市内の有力商人のほとんどが会員になっていた。
同会の事務所は親方町に置かれ、また、同会の目的は規約によって、①商工業の利害得失を講究し、地方の有益を謀ること、②財本を増殖すること、③徳義を守り、親睦を篤ふし、従来の弊害を矯正することの三点であった。同会の結成時には青森、弘前間の鉄道建設が課題であり、同会の発足に当たっての「主旨」にもそのことが明記されている。即ち、第三帝国議会での鉄道敷設の議が貴族院、衆議院を通過し、青弘間鉄道の開設が実現の可能性を多くし、弘前市の商業者はこの機に乗じて商業の繁栄を図ろうとしたものである。