弘前カトリック教会(百石町小路)

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終戦前は弘前天主公教会と称した。
弘前の伝道に最初注目したのはフランス人アムブルムステル師で、明治三年のことである。しかし、間もなく函館へ去り、次いでアリベ師、ベティ師らがこの地に来て伝道、明治十一年本町、次いで蔵主町で民家を借りて会堂としたが、十五年フォーリー神父の時代に百石町小路の現在地に弘前天主堂を建築した。そして明治四十三年これを改築して現存会堂が建てられた。施工した横山常吉は堀江佐吉の弟、ロマネスク様式が基調、正面後陣の木製祭壇は一八八六年オランダのロールモンドで製作されたもので、昭和十四年に運ばれてきた。歴代神父の中で、フォーリー神父は東北と北海道布教の全権を託された偉大な布教者で、また、優れた植物学者であった。特に植物採集家としては世界的に有名で、日本の植物分類上、本県が大きな功績を持つのはフォーリー神父のおかげである。膨大な標本が京都大学にある。
 また、弘前地方のりんご栽培が盛んになったのも師の指導と助言によるところが大きかった。本国のフランスから苗木を取り寄せ、剪定法を教授した。さらにブドウの栽培とブドウ酒の製造法も伝習した。

写真131 弘前カトリック教会