当時日本と米国の関係は、一九二四年(大正十三)のアメリカ議会の「排日移民法」可決、実施をめぐって、きわめて険悪な空気が流れており、少年雑誌にさえ「日米もし戦わば」などの記事が掲載されるほどであった。そのような両国間の緊張緩和をねらって行われたのが、アメリカから贈られた国際親善人形使節であった。人形を贈られた日本の小学校は好意を素直に受け、早速答礼の品を送ることにした。七月四日、弘前市各小学校は図画・作文・習字の成績品を市を通してアメリカに贈り、本県からアメリカに贈る日本人形の費用として、各校が一〇円を醵出し、十月二十一日市内各小学校の児童は時敏小学校に集合して、出来上がった日本人形の送別式を挙行した。なお、アメリカから贈られた人形は、現在、弘前市では青柳小学校と船沢小学校に保存されている。
写真49 富栄尋常小学校(現船沢小)アメリカ親善人形を贈られる(昭和3年)