米国より人形贈らる

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昭和二年(一九二七)、児童国際親善のしるしとしてアメリカの児童から日本に多数の人形が贈られ、五月二十日には弘前市内各尋常小学校に一体ずつ配付された。人形は高さ三〇センチ余り、あおむけにすると瞼を閉じる金髪の眠り人形で、可愛らしいものであった。市内各小学校では同日人形披露式を挙行、校長は日米親善の意義を説き、児童は歓迎の唱歌を歌ってこれを迎えた。
 当時日本と米国の関係は、一九二四年(大正十三)のアメリカ議会の「排日移民法」可決、実施をめぐって、きわめて険悪な空気が流れており、少年雑誌にさえ「日米もし戦わば」などの記事が掲載されるほどであった。そのような両国間の緊張緩和をねらって行われたのが、アメリカから贈られた国際親善人形使節であった。人形を贈られた日本小学校は好意を素直に受け、早速答礼の品を送ることにした。七月四日、弘前市各小学校は図画・作文・習字の成績品を市を通してアメリカに贈り、本県からアメリカに贈る日本人形の費用として、各校が一〇円を醵出し、十月二十一日市内各小学校の児童は時敏小学校に集合して、出来上がった日本人形の送別式を挙行した。なお、アメリカから贈られた人形は、現在、弘前市では青柳小学校船沢小学校に保存されている。

写真49 富栄尋常小学校(現船沢小)アメリカ親善人形を贈られる(昭和3年)