朝陽小学校の移転と新築

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朝陽小学校は、昭和に入ってから急激に児童数の増加を来し、昭和六年には全校児童一一二一人に及び、校舎校地の狭隘となって、その移転新築が市会や学区民に取りざたされるようになった。朝陽小学校移転地は本町一丁目突き当たり、在府町五番地から九番地に決定、昭和九年(一九三四)二月の市会において校地買収および校舎建築費一五万六〇〇〇円を計上した。しかし、土地買収と立ち退きに時日を要し、地鎮祭を挙行したのは同年十二月七日であった。同校の新築校舎の竣工は十年十月十八日、同日午前八時半から移転を開始、午後四時に終了した。新校舎落成式は新講堂において十月二十一日に挙行、午前九時から修祓式、十時二十分から落成式、正午から協賛会主催の祝賀宴を挙行した。当日の来賓は約二〇〇人、盛会をきわめた。同校では十月二十四日新築落成記念運動会を新運動場において開催、市内各小学校選手を招待した。また、十月二十六日から三日間、落成記念展覧会を開催、児童作品(他県、本県、本市、本校)階下一八室、郷土懐古品(書画、古文書、彫刻)一二室、処女会バザー(裁縫手芸品)五室に及び、観覧者は五五〇〇人に上った。
 ちなみにこの新校舎は、昭和二十二年三月十五日弘前市に移転の青森医学専門学校に譲渡、校地は現在弘前大学医学部の敷地になっている。