昭和十一年(一九三六)一月十五日、中津軽郡和徳村の堅田、高崎、俵元の三大字が弘前市に併合された。右の三大字は弘前市和徳町に隣接し、地域的にも経済的にも弘前と交流が深く、合併運動は大正十四年(一九二五)八月から始まっていた。ところが合併交渉は意外に手間取り、一〇年余を経て実現した。この合併により、三大字を学区とする進修尋常小学校は弘前市進修尋常小学校と改称し、市に移管された。
もともと進修小学校は和徳小学校に合併することを希望していたが、和徳学区民に反対があって実現せず、その後和徳学区民が合併に賛成すると、今度は進修学区民に猛烈な反対が起きるなど、合併は曲折を経たが、昭和十三年に至って急速に交渉が進み、合併が実現したのは十四年三月である。進修小学校は三月二十八日閉校式を挙行し、翌日から和徳小学校に校具を運んだ。進修小学校の児童は十四年四月和徳小学校に編入学し、和徳小学校児童数は一三二二人の多数となり、これを二〇学級編成とした。したがって校舎狭隘を告げたが、とりあえず体操場を三〇坪拡張して間に合わせた。