全国制覇なる

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大正十三年以来、破竹の勢いで勝ち進んできた庭球部は、県下女子中等学校庭球大会で、昭和四年から三年連続して青森高女に苦杯を喫して涙を呑んだ。しかし、昭和七年の大会で四年ぶりに優勝旗を手にしてから、負け知らずの実に九連勝の快挙を成し遂げた。しかも同年には秋田市で開かれた東北女子庭球大会で優勝、さらに十一年秋の東京での全日本軟式庭球選手権大会では、唐牛静子小島キン組が長崎高女を下して初の全国制覇を成し遂げている。まさに庭球部の黄金期を築いたのである。
 大正末期から大活躍のめざましかったスキー部は、余勢をかって昭和三年の新潟県高田市で開催された全日本スキー大会で優勝を果たし、校長以下が「祝弘高女スキー選手優勝」の幟を立てて停車場に出迎え、万歳万歳で勝利を祝った。全国制覇はこのときで終わったが、県下大会での優勝はこの後も続いた。

写真67 笹森山での校内スキー大会(昭和5年)

 これに代わって台頭してきたのが陸上競技部であった。昭和六年ごろに始まり、七年には、六月の第四回県下女子体育大会で優勝したのに続いて、十月の県下女子中等学校陸上競技大会でも優勝を飾った。この二つの大会ではこの後三年連続優勝を果たし、弘高女の名はにわかに高まった。籠球部は、昭和三年に創設されたが、これもいきなり県下中等学校籠球大会で女子師範を破る殊勲を立てると、その後も快進撃を続け、三年連覇の快挙を成し遂げている。まさに百花繚乱の感がある弘高女の活躍であった。