ホーリネス教会への弾圧

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昭和十七年六月二十六日、教団の第六部(旧日本聖教会)および第九部(旧きよめ教会)に属する教職九六人が治安維持法違反という理由で検挙され、その後、さらに二〇人が追検挙された。起訴された者八一人、実刑を受けた者一九人、うち獄死者三人、保釈後死亡者四人。両ホーリネス系教会は解散させられた。この弾圧をまともにかぶったのが、日本基督教団弘前住吉町教会の辻啓蔵牧師であった。ホーリネス教会の信条〝再臨〟・千年王国の考えが天皇神格化の「国体」を否定するものとされたのである。辻の妻は中田重治の娘である。十八年十二月懲役二年の判決を受け、上告したが棄却となり、二十年一月十八日荒川刑務所内で栄養失調で死んだ。息子の宣道(のぶみち)は次のように書いている。
父は目を開いたまま死んでいた。みごとにやせこけた死体である。顔はおだやかであったが、まくわうりのような肌の色が青かった。いつ刈ったのか知らないが、青々と坊主頭がそりあがっていた。母は父を裸にしてからだを拭いた。何というやせかただ。わたしはその異様なやせかたに、慄然として目をそむけた。肉のないからだだ。骨に皮がへばりついているだけだ。わたしの胸のうちに激しい憤りが熱湯のようにふきあげた。

 そして辻一家を苦しめたのは、一変した教会員の態度だった。教会員は教会に寄りつかなくなり、教会員の農家にカボチャをもらいにいったが分けてもらえなかった。とうとう軍隊の払い下げ残飯を商いにしている家に行って、分けてもらう生活をした。可哀そうに思った慈善館主で町会長だった佐々木寅次郎の好意で一家は生活扶助を受けた。
 戦争末期には元寺町の教会堂も軍に徴発され、逓信省(ていしんしょう)女子訓練所となったり、軍の宿営所となったりし、礼拝には特高警察や憲兵が傍聴した。それでも、受洗者は、昭和十七年には一八人、十八年五人、十九年六人、二十年には七人あった。

写真93 辻牧師一家