父は目を開いたまま死んでいた。みごとにやせこけた死体である。顔はおだやかであったが、まくわうりのような肌の色が青かった。いつ刈ったのか知らないが、青々と坊主頭がそりあがっていた。母は父を裸にしてからだを拭いた。何というやせかただ。わたしはその異様なやせかたに、慄然として目をそむけた。肉のないからだだ。骨に皮がへばりついているだけだ。わたしの胸のうちに激しい憤りが熱湯のようにふきあげた。
そして辻一家を苦しめたのは、一変した教会員の態度だった。教会員は教会に寄りつかなくなり、教会員の農家にカボチャをもらいにいったが分けてもらえなかった。とうとう軍隊の払い下げ残飯を商いにしている家に行って、分けてもらう生活をした。可哀そうに思った慈善館主で町会長だった佐々木寅次郎の好意で一家は生活扶助を受けた。
戦争末期には元寺町の教会堂も軍に徴発され、逓信省(ていしんしょう)女子訓練所となったり、軍の宿営所となったりし、礼拝には特高警察や憲兵が傍聴した。それでも、受洗者は、昭和十七年には一八人、十八年五人、十九年六人、二十年には七人あった。
写真93 辻牧師一家