日本経済がドッジ・ラインの苦境から脱出することになった契機は、朝鮮戦争の勃発であった。昭和二十五年(一九五〇)に朝鮮戦争が起こると、戦争の当事者となったアメリカ軍が必要な物資を日本で調達し、その製造・販売のために日本経済は活況を帯びた。この物資の購入は特需と呼ばれた。朝鮮戦争の勃発から昭和三十年(一九五五)までに、特需の総額は五七三二億円に上った(前掲『日本資本主義の歩み』)。
昭和二十五年には、弘前市の商店街も落ち着きを取り戻した。闇物資は減少し、夏には弘前夏祭りが開かれた。また、同年十一月には、商店照明コンクールが開催され、蛍光灯による照明も広がり始めた(前掲『弘前商工会議所五十年史』)。