青森県の米単収は、戦前期は全国において下位に属する低位生産力地帯であったが、戦後、寒冷地稲作の技術発展により、特に、昭和二十年代後半から三十年代にかけて飛躍的な収量の向上を見せ、昭和四十年代後半には戦前とは逆に高位生産力地帯となった。しかし、戦後の一時期は、米凶作が続いた。昭和二十八年、二十九年の作況指数は、県全体では九三、八三の低い水準となった。とはいえこのときの津軽地方の作況は、県南地方ほど悪くはなく、昭和二十八年、中弘地区は一〇七と良好で、翌二十九年も、津軽地方の米不作は比較的軽微に終わった(表27)。むしろ昭和二十九年は、りんごへの影響が大きく、低温によるモニリア病の発生と九月二十六日の台風一五号による「りんご六一九万箱の落果」被害が青函連絡船洞爺丸転覆事故とともに忘れることのできない出来事となった。
表27 中津軽郡米の収穫高(昭和29年) | ||
市町村別 | 作付面積(10a) | 単収(kg) |
弘前市 | 2,300 | 415.8 |
清水村 | 2,620 | 373.8 |
和徳村 | 4,880 | 427.8 |
豊田村 | 5,640 | 428.6 |
堀越村 | 2,790 | 393.2 |
千年村 | 3,730 | 367.2 |
駒越村 | 4,050 | 302.3 |
岩木村 | 4,090 | 333.5 |
相馬村 | 3,310 | 347.3 |
東目屋村 | 2,650 | 344.0 |
西目屋村 | 2,030 | 276.0 |
藤代村 | 6,200 | 422.2 |
新和村 | 4,980 | 385.7 |
大浦村 | 3,380 | 400.4 |
船沢村 | 4,340 | 384.3 |
高杉村 | 4,180 | 384.6 |
裾野村 | 4,010 | 315.8 |
『青森県農林水産統計年報』昭和29年版から作成 |
青森県の稲作の増収にかける熱意はその後も続き、耐冷品種の開発、多収技術の発展、保護苗代技術の開発・普及など、農家と研究機関・行政・農業団体との一致した協力関係により、寒冷地稲作技術を発展させた。