桔梗野小学校の創立

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戦後、朝陽小学校学区の新寺町以南は急速に住宅が建ち、著しい人口増加を来した。したがって、その児童を収容する朝陽小学校は、校舎狭隘を告げ、新たに一校新設する必要に追い込まれた。
 市はその校地として、桔梗野の旧歩兵第三一連隊跡地を決定し、昭和二十三年十一月十日地鎮祭を挙行した。朝陽小学校PTAは二十四年一月二十四日臨時総会を開催して、仮称第二朝陽小学校新設に関する対策協議を行ったが、学区編成が問題となり、寺沢川を境界として以南を仮称第二朝陽小学校学区、以北を在来の朝陽小学校学区とすることに話し合いがついた。
 昭和二十四年四月一日、第二朝陽小学校は創立開校された。初代校長五十嵐喜市、職員一四人、在籍児童数は男二七三人、女二二七人の合計五〇〇人、四学年のみ一学級で他はすべて二学級の一一学級。同年四月六日、第一朝陽小学校の講堂を借りて入学式を挙行した。
 第二朝陽小学校の新築校舎は、予定期日を過ぎた二十四年六月中旬に完成、七月二十七日校舎落成式が挙行された。このころから校名の変更がPTAの話題に上るようになり、アンケートにより所在地を採って「桔梗野小学校」に改称、PTA臨時総会に提案したところ満場一致の賛成を得て、市当局に届けた。市ではこれを六月議会に提案し、議会の承認を得て校名変更は正式に決定した。
すなわち、昭和二十四年九月一日、第二朝陽小学校は弘前市立桔梗野小学校と校名を改称、同時に第一朝陽小学校は弘前市立朝陽小学校と改称された。

写真128 昭和24年落成の桔梗野小校舎(旧兵舎を解体移転)