昭和二十四年十一月十一日、朝陽小学校PTAは、公会堂大広間において朝陽小学校復興協議会を開催、市長ならびに市関係職員臨席のもとに、校舎の新築を市当局に強力に申し入れた。市も早期着工を約束し、建築敷地を在府町三六番地の現在地と定め、用地買収に取りかかることにした。
しかし、市の財政難や用地買収に手間取り、二十五年九月新校舎の設計はできたものの工事着工に至らず、二十六年六月十三日新築校舎請負は古堀新割町の堀江幸治に決定、八月ごろから着工した。
新校舎は木造モルタル塗二階建て、完成したのは同年十二月である。新校舎竣工落成式は二十七年一月十四日に挙行され、学区民有志から校内放送施設、校旗、大花器などが寄贈された。戦後の学都弘前建設のため、青森医学専門学校に校舎を提供、あるいは児童ぐるみ弘前大学附属小学校としての貸与などの犠牲を強いられ、校地校舎に不自由した朝陽小学校も、ようやく完備した校舎を所有できた。