目次
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新編弘前市史 通史編5(近・現代2)
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第五章 戦後の弘前
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第四節 教育の変遷
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四 大学の設置
青森師範学校の弘前市移転承認
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青森師範学校は昭和十八年の文部省直轄学校官制の改正により、
青森県師範学校
と
青森県女子師範学校
を統合して設置された。昭和二十年七月二十八日の米軍機の青森空襲によって、同校校舎、
附属国民学校
校舎を焼失、授業は青森市、弘前市、七戸町など県内各地に分散して継続された。しかし、青森市の急速な復興が望めなかったので、昭和二十年十一月二十六日、戦災を受けなかった弘前市に移転した。男子部は
時敏国民学校
、女子部は
朝陽国民学校
を校舎とした。
師範学校当局は青森市に残ることを希望したが、青森市は戦災復興で師範学校存置まで手が回らず、結局、
葛原運次郎
市長を先頭に積極的に誘致運動を展開していた弘前市へ移転したのである。
弘前市に移った青森師範学校は二十一年八月十七日、
弘前公園
三の丸旧兵器庫跡の新校舎に移り授業を開始し、十一月十五日には本校校舎移転記念式を兼ねて創立七十周年記念式を挙行した。
写真139 青森師範学校として使用された旧兵器庫跡