東北女子短期大学の開学

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昭和二十五年(一九五〇)三月十四日、東北女子短期大学の設置が文部省から認可された。短期大学制度第一回認可校で、これまでの東北女子専門学校が昇格したものである。被服科二ヵ年、別科一ヵ年の課程で、定員は各々四〇人であった。同校は「教育即生活、生活即教育」を教育目標として、昭和二十五年五月十四日開学式を挙行したが、既述のように、学長柴田やすはその壇上で式辞朗読中に急逝、劇的な最期を遂げた。同年六月には、第二代学長として前青森県副知事で農学博士の松野伝が就任した。

写真143 柴田学園本部と東北女子短期大学(上瓦ヶ町・昭和25年ごろ)

 昭和二十七年三月には、被服科卒業生に高等学校教諭家庭科、保健仮免許状、中学校教諭家庭科、保健二級免許状が下付されることになり、二十九年二月二十五日には定員五〇人の生活科増設が認可され、同時に被服科の定員が五〇人に増員することも認可された。また、生活科の卒業生には栄養士の資格が与えられた。
 さらに昭和三十五年四月一日、食物専攻の専攻科増設が認可され、四十年一月二十五日には保育科課程設置が認可された。定員は五〇人で、卒業者には教職課程の履修によって幼稚園教諭二級普通免許状、また、保母課程の履修によって保母資格が与えられた。